ロナウジーニョ移籍について思うこと

  • 2011.01.22
By Black and Blue

ロナウジーニョがフラメンゴに移籍した。1980年3月21日生まれなので、もうすぐ31歳の誕生日を迎えることになるわけだが、この移籍で再び欧州の地でプレイする可能性は殆どなくなったと言えるだろう。年齢を考えても後1,2年は欧州のビッククラブで活躍してもおかしくはないのだが、バルセロナからACミランに移籍した後はかつての輝きを取り戻すことがなかったため、ビッククラブからはどこも声が掛からなかったのだ。

今にして思えばバルセロナ時代の2005年前後が選手として一番輝いていた時期だろう。フィジカルの強さにものを言わせてチェルシー・ジョンテリーを吹っ飛ばした場面や、同じくチェルシー・リカルド・カルバーリョの目の前で巧みなフェイントにより得点を決めた場面が脳裏に焼き付いている人間としては、ACミランでのプレイぶりが歯がゆくて仕方が無いが、ブラジル人監督レオナルド退団が決まった時から、ロナウジーニョの去就は決まっていたと言えるのかもしれない。

バルセロナ時代に全ての名誉を手にしてしまった後のモチベーションの維持が難しかったからなのだろうか、バルセロナ時代後半からACミラン移籍後、退団まであまり私生活でいい話は聞かずに、むしろ悪い風評ばかりが耳に届いてくるようになった。時折見せる巧みなボールコントロールを見ていると、全盛期の7割から8割程度の力しか出していないにも関わらず、相も変わらずトッププレイヤーであることを再確認させてくれるが、プレイ範囲が左側に偏っていること、攻撃の起点となるべき選手なのに2010-2011シーズンはむしろ逆に雑なプレイから相手にボールを取られ相手の攻撃の起点となる場面が増えてきたこと、そして守備能力が高くないことがなどが放出の理由だろうか。

同じ問題児ならばまだ年棒が安くて年齢が若いカッサーノを選択した方が得策と判断したのかもしれないが、それにしてもこれだけの能力がありながら力を出し切らないのは残念としか言いようがないのだ。昨シーズン、レオナルド監督が3-4-3の布陣を敷いてロナウジーニョを左サイドに固定したときには往事の輝きを取り戻したかのように見えた。

全盛期のドリブルの切れ味の鋭いときには一人、二人を平気で交わして得点場面まで確実につなげることが出来たが、体の切れが今ひとつ悪い今現在はそのプレイを望むべくもない。そのあたり本人も自覚しているようで、強引に相手を交わすプレイから一瞬の隙を突いたスルーパスをパトに向かって繰り出すプレイに徹し、自らはアシスト専門に活路を見いだしているかのようだった。
もしそのままレオナルド続投であればロナウジーニョの活躍の場も提供されたかもしれないが、アッレグリ監督に交代してからは次第にベンチを温める機会が多くなってきた。3年後のブラジルで開催されるワールドカップ時には34歳になっており、競争激しいセレソンに選出されるにはよほどの好調を維持しない限り難しいような気がする。

今年アルゼンチンで開催される南米選手権、果たしてブラジルはどのような布陣で臨むのだろう。優勝を狙うつもりで乗り込むのか、それともワールドカップを見据えたチーム作りの手慣らしとして望むのか?ひょっとしたらロナウジーニョのセレソンでの勇姿を見ることが出来るのはこれが最後かもしれない。そんな気がしている。